夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

人生のヤマ

1,
 前の会社にKさんという方がいた。ちょっと変わった面白い人だった。


 ある時期、そのKさんが、手当たり次第に保険に入りだしたことがあった。誰もが、「Kさん、保険なんかに興味を持ってなかったのに、何でまた…」と言っていたものだった。


 それから数ヶ月たったある日のこと。Kさんが救急車で、病院に運ばれたという連絡が入った。何でも、Kさんが家で出かける準備をしている時に、突然倒れたというのだ。その後、再び連絡が入って、過労という診断だったらしく、一週間ほどで退院できるということだった。


 それから数日後。
 Kさんは、「せっかく入院したんだから、ついでに持病の検査もしてもらったら?」という家族の言葉に促され、検査をしてもらうことにした。ところが、その持病の部分に癌腫が見つかったのだ。さっそく手術を受けることになり、当然入院期間は延長となり、退院したのは、それから3週間後だった。


2,
 Kさんが入院していた時に、ある人が言った。
「あいつ、前に手当たり次第に保険に入っていたけど、何か虫の知らせのようなものがあったんかも知れんのう」
 そうだった。Kさんが、その数ヶ月前に多くの保険に入っていたことを、誰もがすっかり忘れていたのだ。


 退院後、Kさんに多額の保険金が入ってきたことは、言うまでもない。Kさんはその保険金で、家のローンを完済させたということだった。
 あれから十数年たつが、癌の再発などもなく、Kさんは今も元気である。


3,
 さて、Kさんはどうして多くの保険の契約をする気になったのだろうか?退院してから何年か後に、その『虫の知らせ』について、Kさん本人に尋ねたことがある。
「うーん。自分でもよくわからんっちゃ。なぜか、あの時そういう気分になってね」ということだった。


4,
 ところで、こういう場合、虫の知らせというのが妥当なのだろうか。


『虫の知らせ』
 この言葉を辞書で調べてみると、
「何の根拠もないのに、よくない出来事が起こりそうだと心に感ずること」(goo辞書より)、とある。
 まあ、仮にKさんが死んでいたら、そう言ってもいいだろうが、その後のKさんは、多額の保険金が入ってくるし、健康にもなったわけだ。だから、別によくない出来事ではないだろう。


5,
 では、こういう時、どう言ったら適切なのだろうか?『先見の明があった』というのが妥当なのか?いや、それなら、急に入りたい気分になる以前から、保険に入っていただろう。


 考えてみると、これは学生時代によく聞いた、「この問題が出るような気がして勉強したら、ズバリ出とった」というのによく似ている。そう、『試験のヤマ』が当たったというやつである。つまり、Kさんは『人生のヤマ』を当てたわけだ。何となくうらやましく思う。ぼくは、どんな小さな『人生のヤマ』も、当てたことがないのだから。

延命十句観音経霊験記1

1,
 ぼくは二つのお経を唱えることが出来る。一つが“般若心経”で、もう一つが“延命十句観音経”というお経だ。
 ぼくがこれらのお経を覚えたのは、昭和61年だった。


 20代後半のこの年に、ぼくは精神的に病んでいたことがある。あることに悩みを持ってしまい、それから抜けられなくなった。それが極まって、鬱に近い状態にまで陥ってしまったのだ。
 朝から心が晴れず、ちょっとしたことで沈みがちになり、すぐに自分の殻に閉じこもってしまう。自然、人と接触することも避けるようになった。
 一日のうちで心が晴れるのは、風呂に入っている時だけ。風呂から上がって、寝るまでの間はその状態が続いているのだが、朝になるとまた心が暗くなった。


 こういう状態が3ヶ月近くも続いた。


2,
 その間、何もせずに手をこまねいていたわけではなかった。「何とかしなければ」と思い、そのためにいろいろな本を読み、その解決法を模索したのだ。それは思想書であったり、自己啓発書であったりした。
 しかし、そういう本で心の状態は改善しなかった。


3,
 こういう場合、人に相談すれば少しは気が楽になるのだろうが、人と接触するのが嫌になっていたから、相談する気にもならない。
 たまに、ぼくのそんな状態を見かねて、「どうしたんか?困ったことがあるんなら相談に乗るぞ」と言ってくれる人もいたのだか、自分の心の状態を上手く説明できない。そのことがまた、心を暗くしていった。

昨日の運勢が良かった蚊

 ぼくはマンションの6階に住んでいる。エレベーター待ちのイライラという欠点さえ目をつぶれば、あとは長所だらけだ。


 長所を上げれば切りがないが、何よりもいいのが、この季節である。昼でも夜でも、思いっきり窓を全開できるのだ。ぼくと嫁さんはエアコンがダメである。とはいうものの、暑すぎるのも耐えられない。そこで窓を開けることになる。この階数だと、けっこういい風が入ってくるのだ。


 蚊が入って来ないということも長所の一つだ。マンションの横にちょっとした竹藪があるため、ヤブ蚊が発生しやすい。おそらく、4階くらいまでの家には入ってくるのではないだろうか?エレベーターを待っていると、よく蚊取り線香のにおいがすることがあるのだが、やはりけっこう多いのだろう。


 さて、昨日のことだった。夜テレビを見ていると、小さな虫がぼくの目の前を飛んでいった。
 ぼくは嫁さんに「今の虫、何か?」と聞いた。すると嫁さんは「蚊みたいよ」と答えた。
「何で、こんなところに蚊がおるんか?」
「知らんよー。どっかから入ってきたんやないんね」
「どこから入ってくるんか?」
「あ、さっきしんちゃんがコンビニから帰ってきた時に、ついてきたんやないと?」
「ああ、エレベーターの中におったんやの」


 そういう話をしていると、またしてもその虫は飛んできた。やはり蚊である。黒い体に、白いまだらが見える。ヤブ蚊である。ぼくは、手で叩いた。しかし、その蚊は素早く手の間からすり抜け、逃げて行った。


 それからしばらくして、今度は嫁さんがその蚊を見つけた。で、ぼくと同じように手で叩いた。ところが、今度も素早く手の間をすり抜けていった。


 こういうことを何度か繰り返したのだが、なかなか蚊は捕まらない。そこで、蚊が体にとまるまで叩くのを待って、とまったところを叩きつけてやろうと思った。


 目の前を、その蚊が何度か往復する。そのうち、だんだん高度を下げてきた。そして、思惑通りぼくの足にとまった。「チャンスだ!」と思い、ぼくは手を振り下ろした。


 ところがである。勢いよく振り下ろした手は、蚊を潰す寸前になって、なぜかブレーキがかかり失速した。
 マンガ『あしたのジョー』で、力石を死なせた直後のジョーのパンチが、そういうパンチだった。顔面に当たる寸前で失速してしまうのだ。そんなジョーのパンチを見て、段平は「蚊も殺せないようなパンチ」と形容した。ということで、ぼくも蚊を殺せなかった。


 その後、しばらく蚊は姿を見せなかった。そのうちぼくたちも、蚊の存在を忘れた。
 ところが、ぼくたちが見ているドラマの終わりがけになって、またもやその蚊は現れた。またしても格闘が始まる。 
 しかし、昨日は何度やってもだめだった。結局、その蚊は死なないまま、今日もまだ家のどこかにいるのだ。


 例えば星占いなどは生年月日で占うが、蚊にも生年月日があるわけだから条件は人間といっしょである。ということで、その蚊の昨日の運勢は、きっと良かったに違いない。

念力

 ぼくが小学6年生の頃、親戚の家に、立つことが出来ずに寝たきりになっている子犬がいた。
 その子犬は先天的に立てないのではなかった。ある事件以来立てなくなったのだ。


 その事件とは、その母犬と兄弟犬が犬さらい(保健所?)に連れて行かれたことだ。その光景を、子犬は隠れて見ていたのだと思う。その時のショックが、子犬を立てなくした。


 ぼくが親戚の家に遊びに行くと、いつもその子犬は段ボールの箱の中でうずくまっていた。伯母が食事を与えても、少し口を付けて、あとは残してしまう状態だった。そのため、元々痩せていた体はさらに痩せ細り、ほとんど骨と皮だけになっていた。


 誰もがその子犬のことを心配したが、手のつけようがない。
「かわいそうだが、このまま死ぬのを待つしかないなあ」と伯父は言った。
「病気なんかねえ」
「精神的なものだとは思うけど…」
「立ったら治るんかねえ」
「そうやなあ。立ちさえすれば、何とかなるかもしれん」
「ふーん。じゃあ、立たせてみようか?」


 ぼくがやったこと、それは念力だった。それ以前に念力のことを本で読んだことがあったのだが、それをやってみようと思ったのだ。


 その本に書いてあったとおり、マジシャンのように手の指に力を入れて子犬の上にかざし、「立て、立て」と言って念を送ってみた。
 最初子犬は、ぼくのそんな行為を無視していた。しかし、ぼくは諦めずにずっと念を送り続けた。
 やっているうちにぼくの中に自信のようなものが湧いてきた。


 念を送り始めて10分ほど経った頃だった。突然子犬の体が、電気が走ったようにピクッと動いたのだ。
「もしかしたら…」
 そう思ってぼくは、さらに強い念を送った。
「立ち上がれ、立ち上がれ」


 すると子犬の体は、微かだが動き出した。さらに続けていると、その動きはだんだん力強くなり、体全体にエネルギーがみなぎっているようだった。


 その後、子犬は足に力を入れだした。自分の意思で立とうとしているように、ぼくには見えた。何度も何度もよろけながらも、子犬は立ち上がろうとした。そして何度か目の挑戦で、ついに子犬は立ち上がった。
「立った!子犬が立った」
 まるでアルプスの少女ハイジでクララが立った時ように、ぼくははしゃぎまわった。
 ぼくはおよそ半年ぶりに、その子犬が立つのを見たのだった。


 それ以降子犬は、段ボール生活をしなくなった。長い間寝たっきりだったので、動きはぎこちなかったが、それでも立って歩き回るようになった。


 しかし、相変わらず、食べることはあまりしなかった。そのため、骨と皮だけの体のままだった。そして、それが致命傷になった。子犬は、その後1年足らずで死んでしまった。


 子犬が死んだ後、ぼくは一つだけ後悔したことがある。それは、子犬に念を送って、食欲が出るようにしてやればよかったということだ。犬が立ち上がったことに浮かれて、食欲の方をすっかり忘れていたのだ。もし、やっていれば、もう少し長生きしたかもしれない。


 その後、ぼくの念力の記憶は薄れていった。
「そういえば、あの時念力で子犬を立たせたんだった」と思い出したのは、ごく最近のことだ。
 もしあれから念力を鍛えていたとしたら、もっと違った人生を歩んでいたに違いない。少なくとも、肩や腰の痛みくらいは自分で治せるようになっていたことだろう。


 そう思ったぼくは、あの時やったことを思い出しながら、肩や腰に念を送ってみた。しかし、すでにその能力は失われていたのだった。

バチが当たるぞ!

【1】
終戦後、進駐軍が羽田空港拡張のため、そこにあった神社を移転させようとした。
ところが、ご神体は無事移転できたのだが、鳥居だけはできなかった。
鳥居を動かそうとすると、事故が起きるのだ。
そのため、鳥居だけはそこに残すことになったという。
きっと神様の怒りに触れたのだろう。


ぼくが通った高校のグラウンドの隅に、大きな磐がある。
そのため、グラウンドをいっぱいに使うことができなかった。
その磐は、猿田彦を祀ってあるのだという。
グラウンドを作る時にそれを退けようとしたらしいのだが、羽田と同じく事故が起きたという。
それで、そこに残してあるのだと、先輩が言っていた。


同じく隣の区のある場所に、なぜか道路を塞いでいる祠がある。
取り除けば道はまっすぐになるのに、その祠のせいで、そこだけ道はロータリーのようになっている。
地元の人に、「どうして、あんなところに祠があるんか?どこかに移転させればいいのに」と言うと、「昔、あの祠を退けようとして、バチが当たった人がいるらしく、それで退けられないんよ」と言っていた。
ぼくの住む区にも、道の真ん中にしめ縄をした樹木があるところがある。
当然、道はその樹木をよけるように作られている。
そこも、先の話と同じような言い伝えがある。


こういう話を信じない人にとっては、「偶然そうなっただけ」だとか、「馬鹿らしい。迷信じゃないか」ということになるのだろうが、実際にそういう人たちの言う「偶然」や「迷信」を根拠に人が動いているのだ。
これを否定することは出来ないだろう。


こういうことはどうして起きるのだろう。
それは、そういったものがあるところが、然るべき場所だったからだと、ぼくは思う。
神社や祠というのは、日本全国いたる所に存在する。
しかし、それは意味なくそこに建っているのではない。
それなりに由縁があるものだ。
まあ、何でその地域にそういうものがあるかなんて、調べるのも大変である。
また、それを取り除こうとすると、どうしてそういった災いが襲いかかるのかというのも、今の科学ではわからない。
然るべきところにあるものだから、そっとしておくのが然るべきことなのだろう。


【2】
ところで、古い神社というのは例外なく、「ある法則に基づいて建てられている」ということを、かつてある本で読んだことがある。
その法則とはどんなものかというと、地形の高い所(山や丘陵だけでなく、森の一番高い木のこともある)と高い所を結ぶ線上にあるということである。
その線上のことを、その本では『イヤシロチ(弥盛地)』と呼んでいた。
そういう場所は決まってマイナスイオンが発生するのだという。
神社に行くとすがすがしく感じるのは、そういう土地だからだそうだ。
そういった場所は神社に適しているだけではなく、農作物もよく育つらしい。
農作物がよく育つということは、神に祝福されている土地ということである。
つまり、『イヤシロチ』というのは、神の宿る場所だということになる。


だからこそ、昔の人は神を宿らせようとして、つまり豊作を願うために、『高み』をたくさん造っていったのだろう。
それが日本各地に残っている人工造山ということになる。
人工造山といえば、エジプトのピラミッドもそうであるが、あれもそういった理由、農作物の育成のために造られたのではないか、とぼくは思っている。
信仰のためだとかお墓だとか言われているが、要はやせた土地を肥やすがために造られた、いわば古代のマイナスイオン発生機だということだ。
ちなみに、「ピラミッドは日本人の祖先が造った」と密かに語り継がれているという。