夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

念力

 ぼくが小学6年生の頃、親戚の家に、立つことが出来ずに寝たきりになっている子犬がいた。
 その子犬は先天的に立てないのではなかった。ある事件以来立てなくなったのだ。


 その事件とは、その母犬と兄弟犬が犬さらい(保健所?)に連れて行かれたことだ。その光景を、子犬は隠れて見ていたのだと思う。その時のショックが、子犬を立てなくした。


 ぼくが親戚の家に遊びに行くと、いつもその子犬は段ボールの箱の中でうずくまっていた。伯母が食事を与えても、少し口を付けて、あとは残してしまう状態だった。そのため、元々痩せていた体はさらに痩せ細り、ほとんど骨と皮だけになっていた。


 誰もがその子犬のことを心配したが、手のつけようがない。
「かわいそうだが、このまま死ぬのを待つしかないなあ」と伯父は言った。
「病気なんかねえ」
「精神的なものだとは思うけど…」
「立ったら治るんかねえ」
「そうやなあ。立ちさえすれば、何とかなるかもしれん」
「ふーん。じゃあ、立たせてみようか?」


 ぼくがやったこと、それは念力だった。それ以前に念力のことを本で読んだことがあったのだが、それをやってみようと思ったのだ。


 その本に書いてあったとおり、マジシャンのように手の指に力を入れて子犬の上にかざし、「立て、立て」と言って念を送ってみた。
 最初子犬は、ぼくのそんな行為を無視していた。しかし、ぼくは諦めずにずっと念を送り続けた。
 やっているうちにぼくの中に自信のようなものが湧いてきた。


 念を送り始めて10分ほど経った頃だった。突然子犬の体が、電気が走ったようにピクッと動いたのだ。
「もしかしたら…」
 そう思ってぼくは、さらに強い念を送った。
「立ち上がれ、立ち上がれ」


 すると子犬の体は、微かだが動き出した。さらに続けていると、その動きはだんだん力強くなり、体全体にエネルギーがみなぎっているようだった。


 その後、子犬は足に力を入れだした。自分の意思で立とうとしているように、ぼくには見えた。何度も何度もよろけながらも、子犬は立ち上がろうとした。そして何度か目の挑戦で、ついに子犬は立ち上がった。
「立った!子犬が立った」
 まるでアルプスの少女ハイジでクララが立った時ように、ぼくははしゃぎまわった。
 ぼくはおよそ半年ぶりに、その子犬が立つのを見たのだった。


 それ以降子犬は、段ボール生活をしなくなった。長い間寝たっきりだったので、動きはぎこちなかったが、それでも立って歩き回るようになった。


 しかし、相変わらず、食べることはあまりしなかった。そのため、骨と皮だけの体のままだった。そして、それが致命傷になった。子犬は、その後1年足らずで死んでしまった。


 子犬が死んだ後、ぼくは一つだけ後悔したことがある。それは、子犬に念を送って、食欲が出るようにしてやればよかったということだ。犬が立ち上がったことに浮かれて、食欲の方をすっかり忘れていたのだ。もし、やっていれば、もう少し長生きしたかもしれない。


 その後、ぼくの念力の記憶は薄れていった。
「そういえば、あの時念力で子犬を立たせたんだった」と思い出したのは、ごく最近のことだ。
 もしあれから念力を鍛えていたとしたら、もっと違った人生を歩んでいたに違いない。少なくとも、肩や腰の痛みくらいは自分で治せるようになっていたことだろう。


 そう思ったぼくは、あの時やったことを思い出しながら、肩や腰に念を送ってみた。しかし、すでにその能力は失われていたのだった。

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