夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

延命十句観音経霊験記4

10,
 しかし、それで治ったわけではなかった。その夕方にはまた鬱状態が訪れた。翌日もそういう状況だった。それからしばらく平穏が訪れ、また鬱状態が訪れるという、一進一退の状況が続いた。


 それでも諦めずに、ぼくは延命十句観音経を唱え続けた。すると、およそ2週間ほど経ったある日、二度目の霊験が訪れたのだ。


11,
 場所は帰りの電車の中だった。


 その日は仕事の関係で遅くなってしまい、最終の何本か前の電車で帰ることになった。ちょうど快速が出たばかりで、ぼくの乗った各駅停車は、乗客がまばらだった。そのためゆっくり座って帰ることが出来たのだが、あいにくその日は本を忘れてきていて、何もすることがない。


 そこで、この時とばかり、目を閉じて静かに口の中でお経を唱えることにした。


 そうやって、いくつかの駅を過ぎた時だった。どこからともなく、ぼくが口の中で唱えているお経が聞こえてきたのだ。
 低い男性の声だった。ぼくは、ハッとして周りを見回した。しかし、ぼくの周りにはお経を唱えている人はいない。立ち上がってその車両の隅々まで見回してみたが、しゃべっているのは女性客ばかりで、男性のほとんどは眠っている。
 そうやって、ぼくが落ち着きなくキョロキョロやっている間も、そのお経の声は聞こえていたのだった。


 その時は気味が悪いと思っていたのだが、家に帰ってよくよく考えてみると、これも霊験なのだという結論に達した。
「ということは、このお経の力が、確実にぼくを回復の方向に向かわせているのだ」
 そう思うことにした。


12,
 そして、それから10日ほどして、三度目の霊験が現れた。


 仕事中のことだった。その日は朝からヘソの下が何かムズムズしていたのだが、仕事中にそのムズムズ感が火照りに変わった。別に下腹に熱が出たわけではなく、ヘソの下のある部分が火照っていただけだ。そのため、最初は「おかしいな」と思いながらも、気にしないようにしていた。


 しかし、午後になっても火照りはおさまらない。
「何か変な病気にでもかかったのかなあ」と思った時だった。ぼくはあることに気がついた。その日は朝から鬱ではないのだ。


「もしかして治ったんかなあ」と思い、あることを試してみた。ぼくはある悩みに囚われたり、縛られたりして、鬱状態になっていたわけだが、もし治っているとすれば、その悩みに囚われたり、縛られたりすることはない、と思ったのだ。


 さっそく悩みを心に持ち込んでみることにした。すると、不思議な現象が起きた。その悩みが、頭の中からストンと例のヘソ下の火照りのところに落ちてきて、燃えてしまったのだ。燃え尽きた悩みのあとには、燃えかすだけが残っていた。つまり、悩みという記憶だけが残っているということである。


 何度やっても、その都度悩みはヘソの下で燃やされる。およそ一時間後、ようやく疑い深いぼくの心は、鬱状態から脱出を認めた。それまでがひどい状態だっただけに、その時の喜びといったらなかった。

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