夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

延命十句観音経霊験記(番外編)

 三十年ほど前の話だ。


 ぼくの部署にいた女性の派遣社員が、仕事の合間に般若心経の本を読んでいた。
「般若心経なんか読んで、どうかしたと?」とぼくが聞くと、その女性は
「今、必死で覚えてるんですよ」と言う。
「何でまた般若心経なんか覚えるんね?」
「般若心経を唱えると、願い事が叶うと聞いたもんですから」
「ふーん」
「でも、意味のない言葉を覚えるのって難しいですね」
「いや、意味はなくはないんやけどね」
「へえ、意味なんてあるんですか」
「うん、あるよ。でも、願掛けには必要のないことやけ、別に読む必要もないけどね」


「しかし、私ってどうしてこんなに物覚えが悪いんだろう。一週間くらい前から取り組んでるんだけど、まだ二行も覚えてないんですよ」
「一週間で二行か…。もしかしたら、そのお経はあんたには向いてないんかもしれんね」
「えっ、お経に向き不向きとかあるんですか?」
「あるよ。学校の勉強でも好き嫌いがあるやろ。あれと同じ。好きな学科は何もしなくても頭に入ってくるやん」
「ああ、そうか」
「あんたに向いているお経なら、すんなりと覚えられると思うんやけどね。今その覚えることが障りになっとるんやけ、それは不向きだと思うよ」
「そうですか。じゃあ、私にはどんなお経が合ってるんですか?」
「そんなことわかるわけないやん」


「そうですよね。それならもっと短いお経にしようかなあ。何かないですか?」
「念仏とかお題目じゃだめなんね?」
「何か年寄り臭くて、カッコ悪いじゃないですか。お経がいいんですよ」
「お経だってカッコいいとは思えんけど…。そうか、短いお経か。ないことはないけど」
「えっ、あるんですか?」


 そこでぼくは、紙に延命十句観音経を書いて、彼女に渡した。
「これ何ですか?」
「お経」
「えっ、これお経なんですか?」
「うん」
「たったこれだけですか?」
「たったこれだけ」
「効くんですか?」
「おれは効いたよ」
「本当ですか?」
「うん」
「じゃあ、このお経を覚えよう」
 ということで、ぼくは彼女に読み方を教えてやった。


 翌日のことだった。
 彼女が「しんたさーん」と言って走ってきた。


「どうしたと?」
「いや、昨日のお経、私あれを覚えることにします」
「昨日、そう言ったやないね」
「言ったけど、半信半疑だったんですよ。向き不向きとかいう話を聞いていたし…」
「それがまた、どうしてそうなったんね?」


「あれから家に帰って、紙に書いてもらったのを読んでいたんですよ。その時ふと、床の間のほうから誰かがこちらを見ているような気がしたんです。それで床の間のほうを見てみたんだけど、誰もいない。気のせいかと思って、またその紙を読んでいた。ところが、まだ誰かがこちらを見ているような気がするんですよ」
「何それ、霊でもおるんやないと」
「いや、そんなのじゃなかったんです。実は床の間に掛け軸がかかっているんですけど、こちらを見ているような気配はそこからしていたんですよ」
「何の掛け軸?」
「書なんですよ」
「漢詩か何か?」
「今までそう思ってたんです。それで気にもとめなかったんだけど、昨日なぜか気になって読んでみたんですよ。そしたら、そこに書いていたのは、何と昨日しんたさんに書いてもらったお経だったんですよ」
「へー」
「その時、このお経は私に合ってると思ったんですよ。それで真剣に覚えようと思って」
「縁があったんやね」
「そうですね」
 そう言って彼女は喜んでいた。


 その後、彼女は他の会社に移ったため、願が成就したかどうかはわからないままである。だが、彼女はおそらく、延命十句観音経を一生持って行くだろう。


 これも一つの霊験である。

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