夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

卵割れちゃった

スーパーなどで買い物して
帰ってきてからいつも困るのが
玄関での卵割れだ。
これがけっこう事件なのだ。


せっかくそこまで慎重に
慎重に運んできたのに
玄関を開けた途端に気が抜けて
つい乱雑に置いてしまうのだ。


中身が溢れてしまうと
他の荷物や床についてしまい
乾くまではぬるぬるするし
乾いたあとはこびりつくし。


なーんてことにならないように
気を抜かず荷物を食卓の上に
置こうとしたら角っこにカチッ
「あーあ、卵割れちゃった」

トイレと芳香剤

いくらトイレのにおいを隠しても

においは隠せるものではない。

芳香剤を置いて隠したつもりでも

どこかにトイレのにおいは残っている。

そして芳香剤の力が弱まれば

再びトイレのにおいで満ちてくる。

今度は元々あったトイレのにおいに

気の抜けた芳香剤の香りまで加わって

前にも増して嫌なにおいになる。


芳香剤の香りとトイレのにおいは

本来共存するものではないので

芳香剤がよい香りであればあるほど

そのギャップは激しくて、においは

さらに酷いものになってしまう。

そんなにおいの蓄積の歴史が

ひいては家全体のにおいになるわけで。

だからうちは芳香剤を使わずに

消臭剤にしているのです。

テレビ塔

 山の上にテレビ塔が見える。地デジやFMの電波はあそこから流れてくるんだ。

 ふと思う。今の文明がなくなって、まったく違った文明になった時、その時代の人たちはあのテレビ塔を見て、いったい何と思うのだろうか。さすがに自然の産物だなどとは思わないだろうが、結局訳がわからずに、古代宗教の遺跡として片付けられるのではないだろうか。


 そうやって考えていくと、現在、古代宗教の遺跡となっているところが、実は違った目的の施設だったのではないかと思えてくる。

 例えばギザのピラミッドも、実は王の墓などではなく、何か別の目的で造られたのかもしれない。案外、スフィンクスがテレビ局で、横にあるピラミッドは電波塔だったりして。

ショルダーバッグ

1、

 出かける時には、いつもショルダーバッグを肩に引っかけて行っている。中に入っているのは、手帳とボールペンと本が一冊で、他には何も入ってない。


 手帳やボールペンは、別にブログの下書きをするためではない。以前は詩や短歌や俳句などを書いていたが、読み返してみると、字が汚すぎて読めない。ということで、現在はメモ用紙代わりとして使っている。


 一方の本は、出先での暇つぶしのために持って行っている。内容も決まったものではなく、出かける時に目についたものをバッグに突っ込んでいる。先日はつげ義春さんの『紅い花』というマンガで、一昨日は『菜根譚』だった。もちろんどちらも文庫本だ。


2、

 ショルダーバッグを持ち歩くのは、20歳の頃からの習慣だ。東京では電車を利用していたのだが、いつも立っていたので、手持ちのバッグだと手が塞がってしまう。ということで、当時よく行っていた新宿丸井で、本革のショルダーバッグ(わりと高かった)を購入し、それを肩に引っかけて歩くようになった。


 そのバッグ、すでに手元にはない。購入してから一年後、歌舞伎町のパチンコ屋で盗られたのだ。その中には、丸井のカードや専門書やお気に入りの写真、その他諸々を入れていた。さっそく交番に届けたのだが、結局バッグは戻ってこなかった。


 それに懲りて、バッグの中身を手帳とボールペンと文庫本だけ、という簡素なものにしたわけだ。もちろん、バッグも安い物にした。ちなみに現在は布製を使っている。

六十代

人間の平均寿命が百二十歳になったら

きっと六十代なんか若造で

先輩諸氏からいつも

怒鳴られているだろう。


人間の平均寿命が百二十歳になったら

きっと六十代の髪は黒々していて

白髪や薄毛の人は早熟な人と言って

からかわれるだろう。


人間の平均寿命が百二十歳になったら

きっと六十代の体力的にもまだ若く

例えば長い階段を上る時にも

ヒーヒー言うことはなくなるだろう。


人間の平均寿命が百二十歳になったら

きっと六十代でも生命保険など

もろもろの保険の掛け金は

かなり安くすむだろう。


人間の平均寿命が百二十歳になったら

きっと六十代の未婚が多くいて

親族一同から「お前もそろそろ

身を固めてはどうか」と言われるだろう。