夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

記憶違い

1,
 小学6年生の頃、友だちと校区内にある池に遊びに行ったことがある。山の絶壁を背景にして、その池はあった。けっこうスケールが大きく、まるで山水画に出てきそうな風景だったと記憶している。
 行ったのはその時が初めてだった。近くにこんないい場所があるのかと、その時は感心しきりだったのを憶えている。


 それ以降はそこに行ったことがない。それっきり、その池の存在を忘れてしまっていたのだ。
 その存在を思い出したのは、先々月のことだった。車で郊外を走っているときに、大きな池を見つけた。その池を見ているうちに記憶が蘇った。
「そういえば、小学生の頃に池に行ったことがあるけど、あの池は今どうなっているんだろう」


 それからずっと、その池のことが気になっていた。休みを利用して、何度かそこに行ってみようと思ったのだが、いざ行くとなるとおっくうで、そのままになっていた。


 そのままになっていた理由はもう一つある。その場所は何となく憶えているのだが、なにせ行ったのは50年以上前である。40代過ぎてから、それまで記憶していた道が、実は記憶違いだったという経験を何度もしている。そのため、小学6年生の頃の記憶が正しいのかどうか怪しくなっていたのだ。
「もしかしたら、あれは夢だったのかもしれない」、と思ったことすらある。


2,
 さて、先週の休みの日。その日は特にすることもなかったので、久しぶりにそこに行ってみようと思い立ち、散歩がてら、そこに歩いて行くことにした。


 記憶を確かめるために、遠回りして小学校まで行き、そこから目的地に向かった。途中までは、ぼくの記憶通り順調にいった。ところが、途中からだんだん怪しくなってきた。それもそのはず、当時田んぼがあったところが、宅地になってしまい、そのために新たな道がいくつも出来ており、そのために、記憶の中の道がどの道だかわからなくなってしまったのだ。
 とはいえ、方向は間違ってない。そこで躊躇せずにどんどん歩いていくと、そこに池らしきものが現れた。


「やはり記憶は間違ってなかった」と心の中で小躍りした。ところが、どうも小学生の頃に見た池と違うような気がする。
 まず、大きさが違うのだ。あの頃見た池は、湖と思えるほど奥深く、山の絶壁まで続いていたものだ。だが、目の前にある池は、ただのため池だった。
 その山も違う。たしかに山らしいものはあったが、それは山というより森だった。しかも絶壁と思っていたところは、実はため池を作るために森を少し削ったところだったのだ。


 どうやら、記憶違いだったのは、その行き道ではなく、その風景だったようだ。ぼくの中にある山水画のような壮大なスケールのあの風景は、いったい何なのだろう。やはり夢で見た風景だったのだろうか。

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