夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

笠谷選手とSLと

 1972年2月11日、札幌オリンピックでスキー90m級ジャンプ競技が行われていた。その5日前に、あの「笠谷、金野、青地」が70m級ジャンプで金銀銅を独占したのだ。当然90m級も、笠谷に金の期待がかかる。1回目は成功ジャンプだった。しかし、2回目のジャンプで風による失速。結局メダルには至らなかった。


 さて、その日ぼくは、北九州市の隣にある直方市に行っていた。直方に何をしに行ったのかというと、友人たちと直方駅にある機関庫にSLを見に行ったのだ。冒頭の札幌オリンピックの模様は、ラジオで聴いていて、笠谷のジャンプは、直方機関庫からSLが走り出すところを撮るために、場所を移動している時だった。


 当時、SLブームの真っ盛りだった。全国のSLが次々と廃止になる中、その雄姿を惜しむ人たちが、カメラを持ってSLに殺到した。
 だが、ぼくはSLには興味がなかった。直方に行ったのも、別にSLが見たかったわけではなく、ただのつき合いだった。その日のぼく関心事は、何といっても笠谷のジャンプだったのだ。


 SLのことだが、最初にその言葉を聞いた時、何のことかわからなかった。
「SLちゃ何か?」
「蒸気機関車のことたい」
「なーんか、汽車のことか」
 SLなどと言うので、何か特別なものと思っていた。小学生の頃、毎日学校の行き帰りに見ていた汽車に、何で友人たちが「デゴイチ」だの「シロクニ」だのわけのわからないことを言って騒いでいるのか、ぼくには理解できなかった。


 当時ぼくが持っていたSLのイメージというのは、『薄汚れたおっさん』である。だからSLブームの時も、「わざわざ『薄汚れたおっさん』なんか、撮りに行かんでもいいやんか」と思っていた。
「どうせ写真も撮らないから、カメラなんか必要ない」
 そう思って、直方行きには、カメラの代わりにラジオを持って行った。


「お、次は笠谷」というぼくの声にも、SLファンの友人たちは反応しない。しきりに地図を片手にポイントを探している。
(笠谷のジャーンプ!)
「飛んだ!」
 友人たちは「この天気だから、あまりいい写真が撮れないかもしれん」などと言っている。
(ああ、風が・・。距離が伸びない!)
「あーあ、だめかぁ…」
「しんた、何がだめなんか?」
「笠谷」
「笠谷?優勝したやないか」
「それはこの間の話。今日は90m級」
「ふーん」
 ぼくがSLなんかどうでもいいように、彼らは笠谷なんかどうでもよかったのだ。


 札幌オリンピックが終わってから、ぼくの笠谷熱は冷めていった。それから少し後に、友人たちのSL熱も冷めていったようだ。どちらも『にわかファン』だったのだろう。

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