夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

神が宿る

1,
 かつてぼくは、詩作や作詞作曲といった創作活動をやっていたことがある。


 その頃何度か『神が宿る』経験をしたことがある。そういう時は決まって眉間のところがむずむずしだし、そのうち意識が体の外にいるような感覚になってくる。そして、そういう状態になった時に、詩を書く手が勝手に走ったり、曲が浮かんだりしたものだ。


 まあ、詩作や作詞作曲を真剣にやっていたのは、もう40年以上も前のことだから、その前後がどういう心境にあったのかなどということは、あまり覚えていない。


2,
 30年前ほど前に、友人の結婚披露宴で歌を歌った時の話。


 その日ぼくは、オリジナル曲を歌うつもりで、朝から家で練習していた。練習しだしてから30分ほどたった頃だったか、急に体が温かくなり何かフワフワとした気持ちになった。


「おかしいな」と思いながらも歌っていくうちに、あることに気がついた。何と、意識が体の外に出て、その後ろでぼくが歌っているのだ。歌とまったく関係ないことを考えても、ちゃんとギターを引く手は正確に動き、口は確実に動き、声ははっきり出ている。


 練習を終え、披露宴会場に着いてからも、ずっとその状態は続いていた。その状態のまま、ぼくは舞台に立った。200人ほどの前で歌うものだから、若干の緊張はあった。が、緊張しているのは意識だけで、体はそういうことにお構いなく動いている。そして歌い終えた時、それまで味わったことのないような感動に包まれた。鳴りやまぬ拍手が、その感動に拍車をかけたのだった。


 先にも後にも、歌でこんな経験をしたことはない。おそらくその時、神が宿っていたのだと思う。


 集中力が高まった時に、これと似た状態になることはある。しかし、神が宿った時との決定的な違いは、それが自分の意思でなったのではない、ということにある。


 とはいえ、集中力が高まった時にも、神が宿ることはあるが、それは集中力の高まりの中にあるのではなく、集中力の一歩外側にあるのだ。


3,
 そのことがあって以降、そういう状態になったことはない。つまひ、神が宿る状態にならなくなって、すでに30数年の時が過ぎているわけだ。


 もちろん今は詩作や作詞作曲はやっていない。だが、今は日記という創作活動をやっている。それなら、一度くらいは神が宿ってくれてもよさそうなものだ。神が宿る日記とは、いったいどんな日記なのか、それをぼくは見てみたいのだ。

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