夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

親父

いつの頃だかは忘れた。
憶えていることといえば、
十円玉の裏側と、
奇妙な夢と、
洗濯石けんのにおいだけだ。
親父の死はもっと後のことだ。
それからのことは漠然とではなく、
歳を追って憶えている。
どうやらぼくの人生は、
親父の死から始まったものらしい。
ぼくの考え方も生き方も、
その人生そのものも、
親父がいないという前提の下に
成り立っている。


今もってわからないことがある。
それは親父の死がぼくの人生の中で、
どういう意味を持っているかということだ。
おそらくはそれを探求することが
ぼくの今世における課題なのだろうが、
親父がいないという前提の下に
成り立っている人生がゆえに、
これがかなりの難問となっている。


ただ一つだけ、わかってきたことがある。
それは親父がその死によって、
息子への最高の教育を施したということだ。
「息子よ、人生とはかくも孤独なものだぞ」
親父は物言わぬ口でそう言った。
確かにそう言った。
そのことだけは歳を追って、
理解できるようになってきた。

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