夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

「おじちゃん」3

 ところで、高校1年時の夏休み以外にも、ぼくはショックを受けたことがある。それは、再び「おじちゃん」と呼ばれたことではない。もっと先を行っていたのだ。


 5年ほど前だったろうか、ショッピングモールの中でそれは起こった。
 嫁さんが買い物をしている最中、ぼくは暇をもてあまし、そこにあったテレビを見ていた。すると、2,3歳くらい男の子が、ぼくの方にトコトコと歩いてきた。そしてぼくの前で立ち止まった。


 ここまでは横須賀事件と同じである。しかし、横須賀事件と違ったのは、その男の子がぼくに対して発した言葉だった。
 先に言ったように、「おじちゃん」ではない。当時ぼくは、すでに40歳を超えていたので、仮に「おじちゃん」と呼ばれても、もう驚きはしない。「まあ、そんな言い方をするガキもいるだろう」と思って、軽く受け流すだろう。そういうわけだから、もちろんショックなんて受けない。


 では、何という言葉でショックを受けたのかというと、それは、
「パパ」
 その言葉を耳にした瞬間、ぼくの中で時間が止まった。呆然としたぼくは、自然とこの言葉が口をついて出た。
「あんた、誰…?」


 そのやりとりを聞いていたのか、その子の母親が慌てて飛んできて、
「○ちゃん、はい、よーく見て。ね、パパじゃないでしょ」と子供を諭し、ぼくの方を向いて、
「どうもすいません。すいません」と平謝りに謝った。そして子供を向こうに連れて行こうとした。
 ところが、子供はそこから動こうとしない。相変わらず「パパ、パパ」と言っているのだ。


 結局、母親はその子を抱きかかえて、連れて行った。その時も母親は、
「パパは家にいるでしょ。あの人はね、ここの店の人よ」と言っていた。
 しかし、その子はそれを面白がっているかのように、相変わらず「パパ、パパ」を連発していたのだった。

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