夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

正月に考えていること

 人類の長い歴史の中に、今とはまったく違う科学や法則があって、それに則った文明があったのではないか。いや、そう考えるほうが自然だ。
 ピラミッドもそういう文明を基にして建てられたもので、そこに宗教を絡めてみたり、王家の墓にしてみたりするのは、実はその当時の科学や法則が失われ、何のために造られた建物なのかわからなくなってしまったために、一応そういうことにしているのではないのだろうか。


 例えば一万年後、今の文明が滅び次の文明になった時に、古代の遺跡として野球場が発見されたとしよう。もちろんその時代は野球というものはなくなっているだろうから、野球場が何に使われていたのかわからない。そこでその時代の学者がしたり顔で、
「これは当時の宗教施設である」
 とのたまう。するとこれが歴史の1ページになる。


 全国津々浦々にある線路もそうなのではないだろうか。またしても、したり顔の学者が出てきて、
「この二本の鉄すじは城壁の跡である。この二本の鉄すじに囲まれた場所にムラがあり、そこで古代人は生活し、時には食糧を求め近隣のムラとの紛争を繰返してきたのだ」
 とのたまう。これも歴史の1ページになるわけだ。


 いったいピラミッドは、何のために造られた施設だったのだろうか。
 本当は宗教施設やお墓などではなく、生活に即したものではなかったのか。例えば肥えた土地を作るための装置だとか、例えば良質の農作物を作るための装置だとかだ。もしかしたら大がかりな空気清浄機だったのかもしれない。などと、ぼくはしたり顔で考えております。

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