夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

チンチン電車の夢

1,
 この街のチンチン電車が廃止されてから24年経つのだが、今でも時々チンチン電車の夢を見ることがある。


 その内容のほとんどが、
『渋滞でバスがなかなか来ない。このままだと遅刻すると思い、電停まで走って行く』
 というもので、あまり思い出したくないことばかりを再現してくれるのだ。


 とはいえ夢は、当時の電停付近の風景や、電車の車内を正確に再現してくれている。その当時の乗客の服装などを再現してくれることもある。たまに近くの民族学校の制服や、職工さんの油の染みた作業着が、夢の一風景として登場する時もある。


 昨日、久しぶりにそのチンチン電車の夢を見た。相変わらず遅刻に絡む夢だったが、いつもと違うことがあった。それは電停のホームのことだ。


 ぼくがいつも利用していた電停だが、そこは上りと下りのホームが真向かいにあるのではなく、バス道路を隔てた場所にあった。上りのホームが下りのバス停側、下りのホームが上りのバス停側という具合だ。


 で、何が違っていたのかというと、そのホームの位置だ。上りと下りのホームが真向かいになっていたのだ。夢の中では違和感はなかったのだが、目が覚めてから考えてみるとすごく違和感を感じる。


 24年の時が記憶を曖昧にしたのだろうか。記憶という遺産の崩壊が始まったようで、ちょっと寂しい気がする。



2,
 その電停に絡んだ話だが、実はその電停、バス道路の上り車線方向に下りの電停、下り車線方向に上りの電停があった。しかもそのバス停は、どちらも踏切を越えた所に設けていた。


 つまり上り方面に行く時は、電車の踏切を越えた所にある上りのバス停で降り、踏切を渡り、道路を横断して、ようやく上りのホームにたどり着くということだ。


 逆に下り方面に行く時は、上りのバス停側にある下りホームで降り、踏切を渡り、道路を横断して、ようやく下りのバス停にたどり着くのだ。



 電車が走っていた当時はそう思わなかったのだが、今考えると実に面倒なことをやっていたわけだ。上りの電停は上りのバス停側に、下りの電停は下りのバス停側にあるのが普通ではないのだろうか。さらにバス停も互いの手前に設けるのが普通だ。そうすれば、電車が発車するまで踏切で待たなくても済むのだし、道路も横断する必要もなくなるのだ。


 その手間暇のせいで、何度電車やバスに乗り遅れたことか。だいたいならバス1本で行けるのに、そのバスがいつも2、30分送れるから、そういう面倒なことをしなければならなくなったのだ。

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