夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

よいお年を

「よいお年を」
 社会に出てから、この言葉を何度口にしただろう。それまでは一度も口にしたことのない言葉だった。どうして覚えたんだろう。別に「年末の挨拶は“よいお年を”と言わなければならん」などと強要された覚えはない。ということは、見よう見まねで覚えた挨拶なんだろう。
 では、それまではいったい年末の挨拶はなんと言っていたんだろうか?おそらく、普段の別れの挨拶をしていたんだと思うが。


 そういえば、別れの挨拶の言葉も、年をとるにつれ変わってきている。
 高校を卒業する頃までは、いつも「バイバイ」だった。その後、社会に出るまでは「じゃあね」とか「またね」だった。社会に出てからは、「お疲れさん」だ。社会に出てから、「バイバイ」などと言ったことはない。
 これらの挨拶も強要されてそういうふうに言い出したわけではなく、また高校を卒業したから「じゃあね」と言おうとか、社会に出たから「お疲れさん」と言おうとか決めていたわけでもない。それは流れの中で変化していったものだ。
 ちなみに、友だちに「さようなら」と言ったことはない。そんなこと、馬鹿らしくて言えん。


 さて、社会に出てからは、以前からの友だちにも「よいお年を」などと言っているが、これがまた照れ臭い。言う前から、「何で、こいつに挨拶しなけりゃならんのか」と思ってしまう。
 言っている最中も、ニヤニヤして「ばーか」などと思いながらやっているので、ありがたみも何もないだろう。まあ、相手もそう思いながらやっているんだろうけど。


 ところで、「よいお年を」のあとの続く言葉が何であるかを、真剣に悩んでいた時期がある。もちろん「よいお年をお迎え下さい」が正しいのだが、その頃は、そう続くことに違和感を感じていた。
「よいお年をお過ごし下さい」、この言葉を使うのは年が明けた後だろう。
「よいお年をお取り下さい」なら、年寄りに向かって言っているようである。
 やはり「よいお年をお迎え下さい」が妥当なのか。しかし、言い回しがどうもしっくりこない。
「よい年でありますように」ではいけないのだろうか?
「幸せな一年を」ではいけないのだろうか?
 ただ、これらの言葉を「よいお年を」のように略して言うとすると、「よい年で」や「幸せな」となってしまって、逆におかしくなってしまう。
 いろいろ考えたあげく、「よいお年を」だけでいいじゃないか、というところにおさまった。後の文章は「余計だ」と思うに至ったわけである。それから、自信を持って(?)、「よいお年を」と言えるようになった。


 ということで、皆さんよいお年を。

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