夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

暗黙の了解

 ぼくは、月に何度か近くの神社にお参りに行っている。そこは地域にある小さな神社で、正月以外は参拝客も少ない。


 その神社で時々、お目にかかる方がいる。ぼくのように適当ではなく、いつも長い時間お参りをしている。
 邪魔しては悪いので、その方がお参りをしている間、ぼくは邪魔しないように、他の社を拝んだりしている。逆にぼくが先にお参りしている間は、その方が気を利かして、ぼくの邪魔にならないようにしてくれている。別に会話を交わして決めたのではなく、暗黙の了解だ。


 ま、こういうのは参拝客があまり多くないから出来ることだ。メジャーな神社ではこういう悠長なことは出来ない。
 例えばメジャーな太宰府天満宮だと、多くの人が横一列にならび、同時にパンパンとやっている。


 ところで願掛けをやる時、参拝者が複数人いてもいいのだろうか。神様なのだから、人の多い少ないは関係ないに決まっているとは思うが、何か複数人が同時にパンパンやると、御利益が減るような気がする。これも人間の持つさもしい性なのだろうなぁ。


 宗教戦争も、教理だの何だのと小難しいことを言っているが、案外発端は人間の持つさもしさにあったのかもしれない。人間はそこまで小難しい動物ではないんだから。

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