夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

八方塞がり

 初詣に行った時の話。
 参拝の順番待ちをしていたら、後ろの方から、
「私は60歳の厄を超えたから、もう厄はないよ」という声が聞こえた。
 それを聞いて、ぼくは教えてあげたかった。
「確かに厄は終わるけど、まだ八方塞がりというのが残ってるんですよ」と。


 数年前の後厄が明けた年のこと、神社に初詣に行った時に、そこの掲示板に今年の厄年の早見表みたいなのが貼ってあった。
「後厄が終わったんだから、もう何もないはず」と思いながらそれを見てみると、何とその翌年と翌々年に『八方塞がり』という言葉が書かれているではないか。
『八方塞がり』なんて、どう考えても縁起のいい言葉ではない。さっそくスマホで調べてみると、やはり良くないようで、厄年と同じ扱いになっていた。
「えーっ、またか。せっかく厄が明けたのに」
 と、ガッカリしたのを覚えている。


 しかし、何で神社やお寺は、正月からこんな不幸ごとを人々に背負わせようとするのだろう。まったく気にしない人間もいるのだろうが、ぼくのような気にする人間とっては、それが重荷になってしまう。
「どうしよう、どうしよう」
 と悩んだ挙げ句、お祓いしたり、御守り買ったり。これでは壺と変わらんやん。

×

非ログインユーザーとして返信する