夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

中学時代

1、

 ぼくの通った中学校は、火葬場のすぐそばにあった。

 夏場は窓を全開にしていたため、授業中によく煙が教室に入ってきた。いつものことなので、ぼくたちは何も感じなかったが、転任してきた先生などは、

「おお、いい匂いがしよるのう」

 などと強がりを言って気味の悪さをごまかしていた。

 たしかに火葬場の煙というのはいい匂いがする。魚を焼く匂いだ。とくに昼飯前だと腹にこたえた。しかし、弁当に焼き魚が入っていると、食べる気はしなかった。


2、

 中学3年の時だったか、学校に時計台が出来た。何かの月刊誌に、そのことを書いて投稿した奴がいた。

『ぼくたちの学校に時計台が出来たんだ。これで遅刻者がグッと減ったんだぜ』などと書いていた。


 実はこの記事は嘘だった。そもそもぼくの通った中学は、遅刻者の少ない学校だったのだ。   

 それをこんなふうに書かれると、遅刻者の多い学校だと思われるではないか。さらに言うと、時計台が出来ただけで遅刻しなくなるような、単純馬鹿な生徒が多い学校とも映るではないか。


 しかも、この投稿記事が載ったのは、時計台が出来た翌月の雑誌だったのだ。そう、奴は未来予想をしていたわけだ。いったいどんな根拠を持って、この予想を立てたのだろう。


3、

 中学校に登校する時、いつも小高い丘の横を通っていた。その丘には防空壕の跡と言われている横穴があるのだが、小学生の頃に、その横穴に人が住んでいるという噂が流れた。その噂を聞いて以来、ぼくはその丘に気味悪さを感じていた。


 その防空壕の横には、赤い小さな鳥居がある。その鳥居の奥には階段があり、丘の上まで続いているようだ。今は知らないが、当時は夜になるとその階段に灯りがともり、不気味さを醸し出していた。


 朝夕、そこを通るたびに、不思議に思っていたことがある。それは、その鳥居をくぐる人を一度も見たことがないということだ。周りに聞いても、みな同じ意見だった。


 ある日のこと、新聞配達をしている友だちが、

「朝5時ごろ、あの鳥居の前を通ったら、行列が出来とった。みんなうつむいていて怖かった」と言った。どんな人がお参りしていたのかと聞いたら、

「年寄りから若いのまでおった。新聞屋のおいちゃんから聞いたんやけど、あそこは孤狗狸さんにとり憑かれた人が行く神社らしいぞ」

「気味が悪いのう。もうあそこ通るまいや」とみんなで言い合った。

 しかし狐狗狸さんに取り憑かれた時は、そこに行けばいいということはわかった。いまだに利用はしてないが。


4、

 小学校の時から成績がトップで、いつも一学期の学級委員をやっていた奴がいたのだか、中学3年の時、その秀才と同じクラスになった。


 修学旅行で風呂に入った時のこと。

 クラスごとに風呂に入ったのだが、みんなでふざけていると、その秀才の腰に巻いていたタオルがパラッとはずれた。秀才は慌ててタオルを拾い上げたが、ぼくはしっかり見た。

 そして『秀才でも生えるんやなあ』と変に感心していた。


5、

 中学3年の時、受験勉強と称して、ぼくはある勉強を必死にやっていた。それは、国語でも英語でも数学でも社会でも理科でもなかった。超能力の勉強だった。

 その勉強のやり方は、目の前にろうそくを立て、「消えろ」と念じながらその炎をジッと見つめるというものだった。『火が消えたら、きっと合格する』と、真剣にやっていたのだった。


 さすがに火を消すことは出来なかったものの、かすかにではあるが火を揺らすことは出来た。それは超能力の勉強を始めてからおよそ3ヶ月後、受験の前日だった。

 結局その3ヶ月間、他の勉強はやらなかったが、なんとか合格することができた。今でもそれは超能力のおかげだと思っている。


 さて、その後超能力はどうなったのかというと、受験日の翌日から、まったく修行をやらなくなったため、火を揺らすことすら出来なくなった。

 ただ、ジッと見つめてばかりいたので、まばたきをしない癖が付いてしまい、後年のドライアイの原因になってしまったのだった。

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