夢のいたずら

若い頃に描いた夢が、このブログに連れてきてくれました。人生まだまだこれからです。詩とエッセイを中心に書いています。

念力

 あるアンケートに、「ひとつだけ超能力を身につけられるとしたら?」というのがあった。
「瞬間移動」「透視」「予知」「テレパシー」「念力」「その他」から選ぶようになっていたが、ぼくは躊躇せず「念力」と答えた。
「瞬間移動」もよさそうだが、もし移動した場所が高速道路上や、交差点のど真ん中だったら恐い。
「透視」は、人の骨や筋が見えるのは嫌だ。
「予知」、自分や身内がいつ死ぬかがわかるのが辛い。
「テレパシ-」、相手が何を考えているのかがわかるのはいいが、それがもし自分に向けられたものだったら、それも悪意に満ちたものだったら、傷ついてしまう。
 というわけで、「念力」が一番いい。


 もう一つ理由があって、それは念力を持っている夢を見ることがよくあるということだ。念力を使うのに、特別なことをやるわけではない。ちょっと意識を集中して、その物体が動いているのをイメージすれば簡単に動いてしまう。
 例えば、スプーンが浮いている姿をイメージすれば、スプーンが浮くということだ。夢の中では、そういう能力が元々備わっているかのように、当たり前に使ってるのだ。


 先日もそういう夢を見た。
 どこかの公衆トイレに入っていると、友人がドタドタと足音を立ててトイレに向かって走ってきた。ぼくは「いたずらしてやれ」と思い、念力を使ってトイレのドアが開かないようにした。友人はドアが開かないので、開くまでしばらく待っていたようだが、我慢できないのか必死に開けようとしだした。
 最初はぼくの念力が勝っていたのか、まったく開かなかった。ところが、ぼくがちょっと集中力を欠かすと、少し開いた。そこでまた集中力を高めて抵抗した。そんなことをやっているうちに目が覚めたのだった。


 念力を使う夢を見た時、いつも目が覚めてから、やり方を忘れないうちに念力を試してみる。だが、現実では無理だ。ティッシュ一枚も動かせないのだ。
 もしかしたら、夢のようにぼくがいたずらしてしまうから、神様はぼくに念力を持たせないようにしているのかもしれない。

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