本場の喜多方ラーメンが食べたい。
2002年2月16日の日記です。
この4月で今の会社に入って丸10年になる。この会社の面接を受けたのは、10年前の今時期だったと記憶している。
「あれからいろんなことがあったなあ」などと考えていると、ふと喜多方ラーメンが食べたくなった。
10年ほど前に喜多方ラーメンを食べたことがある。
平成3年11月中旬、前の月にそれまで勤めていた会社を辞めていたぼくは、友人と東京に遊びに行った。
別に東京で何かするために行ったのではない。ただ急に20代の自分に会いたくなったのだ。
住んでいた高田馬場界隈、足繁く通った新宿、休みのたびに行っていた神田古書街、アルバイト帰りに歩いた銀座、野球の練習をした明治神宮、ミニライブをやった代々木公園、他に浅草や池袋などにも足を運んだ。
ついでにというので、福島まで足を伸ばした。東京時代一番仲のよかったK君に会いに行ったのだ。
K君はラーメンで有名な喜多方に住んでいた。上野から新幹線に乗り、郡山で下車、そこから磐越西線に乗り換え喜多方に向かった。
喜多方の駅前はラーメン屋だらけだった。
K君に聞くと、
「観光客相手の店ばかりで、味はイマイチ」
ということだった。
「じゃあ、地元じゃどこがおいしいんか?」
と訊くと、K君は一軒の中華料理店を教えてくれた。
その日はK君と積もる話をし、ラーメンを食べたのは翌日だった。午前中馬車に乗って市内を観光した後、その中華料理店に行った。
腹も減っていたので、ぼくらは大を注文した。しばらくしてラーメンが運ばれてきた。
まずどんぶりを見てびっくり。直径が30センチ以上はあるのだ。中身もたっぷり入っている。ぼくはラーメンを食べる時はスープを残さないようにしているのだが、この時はさすがにスープまでは飲むことが出来なかった。
味もよかった。さすがに地元の人の支持を得ているだけのことはある。郷愁を誘う味で、「これなら毎日でも食べれるな」と思ったものだ。
とんこつラーメンで育ったぼくにとって、喜多方ラーメンは異質なものだった。味はどちらかというと和風で、麺は太い。もしそれをラーメンと定義づけるなら、九州のラーメンはラーメンではないだろう。
逆に喜多方の人に言わせれば、九州のラーメンは異質だろう。もしそれをラーメンと定義づけるなら、喜多方のラーメンはラーメンではないと思うに違いない。
翌日もこのラーメンを食べようかと思ったが、それはかなわなかった。
K君が会津若松の観光に連れて行ってくれ、昼食は野郎ヶ前というところで、田楽を食べたのだ。これもおいしかった。
昼食後喜多方に戻り、そのまま汽車に乗って東京に戻ったのだった。
そうか、あれから10年経つのか。いまだにあのラーメンの味が忘れられないでいる。
なかなか時間が取れないから、今時点で喜多方に行くのは不可能だ。でも食べたい。
ああ、『どこでもドア』が欲しい。
※22年経った今なら、スーパーやコンビニで喜多方ラーメンを買えるんだけど、どれもあの時の味ではない。
ああ、『どこでもドア』が欲しい。